30代 2児の父親 備忘録

とりあえず おもったままに かいてみる

人生綴って みようかな 3(留年~就職まで)

留年している1年間

4年進級に 足りない単位は 1単位だけ

つまり留年中は 結構時間に余裕がある

もちろんバイトは したのだが

それ以外にもいろいろと 自分なりに有意義に 過ごしたつもりである。

 

将来の仕事をどうするか

 

大学に進学するときはロボット、特にヒューマノイド的なものに関心があった。

それで システム制御学を 専攻することにしたのだが

仕事として考えたときに どうなんだろう。

それはいまでも やりたいこと なのかもしれない

でもそれは イコール 仕事として やりがいを 感じられる ということなのか

 

自分は いったい何に やりがいを 感じられるのか

 

今まで以上に ニュースをみたり 本を読んだり 先輩の話を聞いたり

自分の価値観について考えてみたり それらを通してなんとなく 

「医療」 に気持ちがむいてきた。

 

そして、考えた挙句、いかの方針をきめた

 

「医療にかかわる工学系の研究を大学院までやり、その後はさらに研究室に残って研究するか、それを活かせる医療にかかわる企業に就職する。」

 

ということで 4年生の研究室、卒業研究を決めたのだった。

大学院については、通っている大学の大学院では 

やりたいことができない可能性があり 決めた方針を踏まえて

隣県の大学院大学(大学にくっついていない大学院)に 進学をきめた。

理由は主に 以下の2点。

 

 ・企業と提携しての研究が盛んで、研究資金が豊富なことから、

  各研究室の受け入れ態勢が柔軟で、希望する研究室でやりたい研究が

  できる可能性が高い。(説明で聴いた話では例年90%以上)

 ・もし特待生になれれば授業料免除

 

前者は言うまでもなく また後者は 留年の身として魅力的 だった。

結果的に 特待生は 最後の二人にまでは残ったが 中国人留学生に 負けてしまった。 やりたい研究の具体性と熱意で 先方が 上回ったとのこと。

だめでもともと。仕方ない。 

 

さて大学院生生活。

研究室にも指導員にも大変に恵まれた、と思う。

手術シミュレーション開発に関する研究に係ることができた。

が、就職にむけて 具体的に動き始める時期が迫った修士1年の12月 考え始めた。

 

指導員(研究室の講師)が大変仕事できる方で 「研究者になるならこういう人に」

と思える方だったのだが 能力はとりあえず置いておいたとして 自分とタイプが

違うのだ。

ひとことでいうと 役に立つか立たないか それよりも 決めたことを 突き詰めるタイプ。

一方自分は 80%くらいできたら十分 それよりも余力はこっちに向けて。というタイプ。

研究者向きなのは前者だと 思い知らされた。

自分が研究者を志しても たぶんつらいだけ。

 

人生を振り返ってみてもそうだった。「長所をのばす」より「短所を克服したい」。

だから勉強も 全教科満遍なくそこそこできる。だけどこれは人に負けないという

突き抜けたものははい。悪いことじゃない。それはそれで 自分の長所だと思う。

だけど研究者向きではない。

一方企業に就職するとして、自然な流れに沿えば、医療機器メーカーのSEだが、

それもなんだかピンと来ない。今やっているのはプログラミングで 嫌いじゃないし

苦手でもないが 仕事にしたいか。。。。? よくわからない。

 

なんとなく このまま就職したら 後悔する気がした。

 

そんな感じでなんだかんだ悶々としているとき 試しに就活サイトの 適職診断なるものを試したのであるが、そこで出てきたのが

 

  「MR」

 

だった。

最初の感想:「なんだこれ?」

 

調べてみると、要するに製薬会社の 営業だった。

ただし、ただの営業ではなく「医薬情報担当者」。自社の製品の適正使用のために、医師に情報提供をするのが主な仕事と当時は理解した。

 

感想:「面白そうだな」

 

かといって 大学・大学院の専攻と 全く関係ない就職先

悩みに悩んだあげく こうすることにした

 

  ・内資系大手 or 準大手で選んだ7社のうちどこかに受かれば入社

   (名前のしれている このあたりでないと 親も教授も納得しないだろう)

   無理なら適性がないと判断して

   研究室に来ている推薦枠等々 既定の路線で就職する

   (外資は動きが速く、当時もう選考はほぼ終わっていた)

  

  ・MRになって どうしても会わなければ 研究に戻るなり

   SEになるなり する。なんとかなるだろう(今思えば甘い考えだが)

   (たまたまだが 研究室の先輩で 元MRの人がいた ということもある)

   営業職であれば コミュニケーションスキルも学べるだろう。きっとそれは、

   SEの路線に戻ったとしても役に立つはずだ。

 

これを決めたのが修士1年の1月。

4月から本格的に面接が始まるので それに向けて準備を始めた。

調べた限り、普通のMR志望者は外資も受けるから すでに準備はできている。

自分はゼロから今から準備。ゆっくり準備している暇はない。

実践あるのみと とりあえず まだギリギリ選考していた 聞いたことのない名前の

外資系製薬メーカー2社に 応募。

ありがたいことに 1社目は「おいのり」されても フィードバックをくれる面接官で

「準備不足」との指摘。 就活の面接の 雰囲気もつかめた。(と思った)

2社目では グループディスカッション を経験できた。「おいのり」されたが。これもなんとくなく 雰囲気はつかめた。

 

さて、いよいよ勝負だ。

 

リストアップした7社に申し込む。説明会の枠は無事に取れた。

幸い、履歴書で落とされることはなく、全社選考に進めた。

説明会の印象で、受ける順番をきめる。

準備不足は重々承知。だから志望順位が高い企業を後ろに回した。

 

1社目 。

一次面接でアウト。留年について 聞かれたことに うまく答えられない。

 

2社目。

一次はグループディスカッション。前回の失敗を活かして無事クリア。

二次面接でアウト。やっぱり留年でひっかかる。

 

3社目。

ここがターニングポイントになった。

一次面接。面接官が教えてくれた。

「正直なところ、合格にして二次面接に進んでもらう ことはできる。でもこのまま行ったら二次面接で落ちる。それはもったいないと思っている。今日はいったん保留にするから、もっと練習しなさい。そして準備ができて、その時にはほかの会社で内々定をもらっているかもしれないが、それでもウチに来たいという気持ちがあれば、私に直接連絡しなさい。もう一回面接をするから。」

そして事細かにアドバイスをしてくださったのだった。自分の人生、今までの経験を棚卸して、自分の事をしっかりしゃべれるようになりなさいと。

 

正直なところ「面接って準備必要だったのか」と思った。

(面接には正直自信があった。大学も大学院も、入試では面接を経ていたから)

 

それまで 面接というのは ありのままの自分を 見てもらうものだと 思っていた。

だけどそんなに 単純ではなかった。

当時のノートに 自分なりのポイントをまとめてあった。

(特に留年についての対策は念入りにしていた。)

 

  ・嘘はつかない、ごまかさない(留年してるとついついこういう思考になる)

  ・留年については 絶対に言い訳しない。

   しっかり分析して 自分の欠点も しっかり話す。

   留年については、面接では決してネガティブ要素ではない。

   絶対に突かれるし、そこで聞かれることはほとんど決まっているのだから。

   留年がダメなら そもそも履歴書で落とされている。

  ・相手の求めている人物像を分析・イメージして 自分の人生・経験をそれに

   当てはめてみる。

  ・志望動機をもっと深掘る。結論、あいまいな部分は残ったとしても

   しっかり分析したことが伝わるようにする。

   

それまで、面接の原稿は書いていなかった。

でも、必要だと理解できた。人生の経験なんて、その解釈は一つではない。伝え方ひとつで 相手のとらえ方が変わってしまう。言葉選びは非常に重要で、それを伝えるときどのような表情をするか、仕草をするか、間をとるか、そういうことも大事。

 

「面接というのは 相手の求めている人物像を 自分の人生に落とし込んで

 自分に嘘をつかず いかに演じられるか。

 決して ありのままの自分を見てもらう場 ではない」

 

そういうことだと、自分なりに理解した。 

面接の練習はいらないと思っていたが、間違いだった。時間をみつけては

状況をシミュレーションして、口に出して練習した。

 

4社目、5社目。

原稿を練ったり、練習を繰り返す中で選考に臨んだが、1次のグループディスカッションはクリアするも面接でアウト。だが、今までとは違って、手ごたえがあった。次は行けると思った。

 

6社目

1次のグループディスカッションクリア。2時面接もクリア。完璧にできた。

最終面接に進むことになった。

 

ここで、3社目の人事の方にメールで連絡を取った。

(個人のメアドを教えてもらっていた)

4月末に面接にチャレンジすることになった。

「成長した○○君に会えるのを楽しみにしています。」と返事をもらい、日程が決まった。

面接では 自分の成長に満足してくれたようだった。

そして、2時面接に進めることになった。

その時、すでに最終面接が決まっている企業があることを伝えた。

「今の君ならうかるだろう」というようなことをおっしゃり、そのあとのやり取りで

その企業で内々定をもらえれば、そちらを優先するということを正直に伝えた。

 

7社目

1時面接にクリア。2時面接に進んだ。

 

ここで、6社目の最終面接を迎えた。

ここまでくれば、面接には自信満々で臨めるようになっていた。

無事に内々定をもらった。

このとき、GW明け直後。

 

3社目と7社目はここで断りを入れた。

特に3社目については心苦しかったのだが、人事の方には 祝福の言葉をいただいた。

その方とやり取りしたメールは、今でも大事に残している。

7社目については少し悩んだが、正直なところ、もう十分だと思った。

(そんなに志望の程度に差はないし、もう疲れた。。。)

 

結局 大学と大学院の専攻とはかけ離れた 就職をすることになったが

当時国内売り上げ4位、パイプラインも豊富で将来性が高く、またよく名の知れた製薬会社であったこともあり、両親も研究室の指導員や同僚も、安易な決断ではないことを理解し喜んでくれた。

研究室の同僚が内定先を聞いてかなり驚いていたが、逆にうれしかったのを覚えている。

 

それからは卒業に向けて研究を進め、無事に卒業、翌年4月に無事社会人となったのだった。

その時には、その後10年の間に5回も転職することになるとは夢にも思っていなかった。

 

以上